読書:『意識はどこから生まれてくるのか』(マーク・ソームズ)

意識に関する書籍は、ジュリオ・トノーニの『意識はいつ生まれるのか』以来、とても久しぶり読んだ。
本書マーク・ソームズの『意識はどこから生まれてくるのか』は、概して大変興味深く、いくつかの点で自分が漠然と持っていた意識と脳に対する認識は大幅に変わった。

特に本書前半の議論(第1~6章)、意識は認識的というよりも感情的(あるいは「感じ」)で、脳における意識の座は大脳皮質ではなく、脳幹上部であるという主張は、実際に脳に障害を受けた人の症例を多く扱い、個人的には説得力があった。
また、心理学における行動主義以降、徹底して軽んじられていた内観報告の役割を重視した神経心理学研究、著者が神経精神分析学と呼ぶもの、も新鮮で面白かった。

フロイトが元々しっかりとした神経生理学者で、当時の神経生理学的な技術的限界から精神分析学を興したことはどこかで読んで知っていたが、将来的な技術発展を見据えたプロジェクトまで構想していたことは、本書を読むまで知らなかった。
著者はフロイトが当時挫折せざるを得なかった、このプロジェクトを現代に蘇らせたらしいので、時間があったら少し読んでみたい。


しかしながら、自由エネルギー原理が出てくるあたり(第7章)は個人的には微妙だった。
すでに一冊自由エネルギー原理に関するは読んだことがあるが、やはりなんというかFEPは腑に落ちない。
本書にの説明においても、結局のところ予測誤差を最小化する(FEP的には自由エネルギーを最小化する)ことが生命にとって重要で原理であると、端的に言えば述べているだけで、そこまで劇的なものとは思えない(ホメオスタシス的なネガティブフィードバックシステムに関しても、雰囲気、制御工学的システムを情報理論の観点から捉えなおして、適応範囲を広げた以上のことではない気がしている)。
情報系の自分には、物理学関連の用語と概念が多用されているのでハードルは高いが、そのうちFEPに関してはちゃんと時間をとって学ぶ必要があるかもしれない…

また、フリストンが構築したらしい自己組織化システムと、そこでの重要概念と捉えられているマルコフブランケットあたりの議論は、正直オートポイエーシスや人工生命分野で散々やられてきたことの焼き直しなのではないかという気がするし、神経系が実現する自己組織系と、単細胞レベルで実現される自己組織化系ではギャップが大きすぎて、著者の主張にそこまで乗れなかった。差分として敷衍されている自己組織系の内部における外部のFEP的な予測の話が、なにかこれまでにない凄いことなのかもしれないが、これも判断がつかなかった。


第11章の「意識のハードプロブレム」は期待していたが、チャーマーズの元々の論文を縦軸に議論する形で、恐らくあと1~2回読み直しても理解度は7割を超えない気がしている。大枠雰囲気で理解した範囲では、チャーマーズのハードプロブレムの議論には、概念の混合があり、根本的にハードプロブレムではないという話に帰着しようとしているように見受けられるが、正直この辺りはチャーマーズの原論文と適当な副読本を含め、しっかり読まないとついていけないと感じた。

第12章の「心を作る」では、本書での知見を用いて実際に意識を持った機械を作る具体的な方法について論じているが、その試みの構想は大変ナイーブに感じた。実際に人工生命研究とかを行った経験のある人なら多かれ少なかれ理解されると思うが、これこれこういうステップで目的の生命的な振る舞いや認知をシミュレートするという研究は、試行錯誤の連続で、ほとんど最初の構想通りにはいかない(個人的経験)。
とはいえ、本書通してこの著者は、1つならず、多くの大胆な発想や主張を行ってきており、何か面白い結果が得られる可能性は期待している。